第41回衆議院選挙に初当選を果たし、所属委員会、部会の選定が行われ、私のライフワークである福祉の充実のため「厚生労働委員会」、私の選挙区に ある核燃サイクル事業推進により「科学技術委員会」の両委員会に所属。その委員会に関連する党部会は勿論のこと、国会対策委員会、地元が抱える諸々の問題に対処するため、建設、たばこ・塩、整備新幹線、水産、総合農政等々の部会、調査会、委員会に所属する。選挙区自治体の継続事業の推進、新規事業の採択、下北縦貫道路予備確保、葉たばこの価格調整等に精力的に活動を開始する。

 平成10年10月には「むつ小川原開発問題プロジェクトチーム」事務局長の大任をおおせつかる。青森県が国の対応を不満とし、ガラス固体化を積んだ輸送船のむつ小川原港への接岸を拒否する。官邸、経済産業省、科学技術庁、電気事業連合会と青森県との調整役に日夜奔走し、当時の橋本総理が、高レベル最終処分問題に対する政府の取り組みの強化、原子力レスキュー隊の検討を進めるとの約束を取り付け決着した。県は予定より3日遅れで接岸を了承した。政治家として大きく力をつけた1期目であった。